2022/11/13

この週末は実に10日ぶりくらいに晴れ間の見える暖かな天候で、すこぶる気分が良いので日記を書くことにする。今週は微熱が出て丸2日間ほど寝こんでしまって、あまり外出のしない一週間だった。手帳を見返してみると、前回の月曜日に書いた出来事から週末までの記憶がぽっかり抜けている。寝込んでいたとき、気だるくもやのかかった意識で何をしていたかというと、Kindleで漫画を読んでいたのだった。『ファブル』を全巻読破して、大昔に揃えていた『デスノート』を読み返して、たいへんに無為の時間を過ごした。まあ過ぎたことだ。まあでも細々とした日常もあったのかもしれない。週初めに鳥手羽と大根を買い込んでいたので、今週の自炊はそれらを使った煮込み料理だった。大根はロシア語でもДайкон(ダイコン)と呼ぶのだとはじめて知った。

土曜日、ひさびさの晴れた日があまりにも嬉しくてひさびさに何の目的地もない散歩に出た。最寄りのバス停で適当なトランバイに乗りこんで、陽光が差しこむ見晴らしの良い道路に出たところで降りた。歩いているとたまたま小さなショッピングモールに行き当たり、ぶらついているとアウトレットの服屋で良さげなダウンジャケットを見つける。ちょっと傷がついているとかで、日本円だと定価16,000円くらいなのに約3,000円とかなり値下げされている。もう来週には日常的に氷点下となる予報、いくらか防寒には気をつけて準備してきたとはいえ、現地のアイテムをこそ信じようと衝動買いする。

日曜日のきょう、夕方にはドムラジオにて、前回登録できなかったヴィクトル・マージンのレクチャーに行く。精神分析と音というテーマの連続講義で、少年ハンスの症例を土台にしたものだ。少年ハンスは本名をハーバート・グラフといい、のちにメトロポリタンオペラの演出家となっている。で、実父も音楽評論家であり、その症例の分析においてもキリンの吠え声という音がけっこう重要で、このように実は「少年ハンス」は音楽と切り離せない生涯を送っている……というような話の流れで、フロイトラカンを参照しながら、精神分析における「幻想」は視覚ではなく聴覚によって基礎づけられている、と講義が展開する。また、オペラの演出においても幻想が中心にあると(何かを参照していたかもしれないが聞き取れなかった)述べて、「オペラ-幻想-音」と線を引きながら、「社会的な雑音социальный шум」という概念に至る。と、まあそれなりに聞き取れたのではないかと思いつつ、単語ひとつひとつはわかっても長文となるとわかりにくくなって、話全体を文脈づけるとなるとかなり難しい。まだまだだ。滞在中に、こういうレクチャーの質疑応答で自信をもって挙手できるようになるくらいにならないといけない。

レクチャー後、カフェを挟んでまたドムラジオに戻り、映像と電子音楽を組み合わせたコンサートに参加する。СЕАММС(モスクワ音楽院電子音楽センター)の人たちによるコンサートで、まあ悪くはなかったけれど映像と合わせる意図はよくわからなかった。わからなかったというか、良い相乗効果が生まれているようには感じなかったということだ。

ところで今回の滞在ではじめてラーメンを食べた。Akiba Ramenというお店。ラーメンというより蕎麦という感じの味だった。コシという概念が欠片も感じられない麺だった。