2022/11/04

またしても一日書かずにいたのだがそれにしてもなぜ毎日書くということにしようと思ったのか甚だ疑問である、といささか自分を責め立ててみるところから文章を始めてみよう。まあ返答は単純で、どんな些細なことでも書き留めておけばあとで自分が見返して楽しめるからだというだけの話だ。そして言い訳を重ねれば、昨日は何もなかったから書かなかったというだけだ。しかし些細なことを書こうと思えばいくらでもあるはずだと神経症的な自分が自分に語りかける。たとえば日本から持ってきた味噌をつかってロシアの食材で煮込み料理をつくったこととか、部屋の鍵がなぜかうまく開けられなくて通りすがりの寮勤めの女性に助けを求めたら笑って無視されたこととか。こういうどうでもいいような出来事こそ忘れてしまうし、けっこう面白いのではないかと確認したではないか。ところでこういう日記を書くと決めたから日々いろいろなところに出かけることができたという面は大いにあって、そんな日々のなか、そもそも日常の些事にこだわることなどできていなかったのだと思う。一ヶ月そこらの旅行をしているのではなく、それなりに長い期間を異国で過ごして取るにたらない日常を過ごしつづけていくのだから、何かをやらなければならないなどという前のめりな気概はこの際捨ててしまおう。何かをやらなければならないのは人生であって生活ではない。わたしはここで生活をしているのである。

いや、もちろん人生を生きているのでもあるが、と言い訳を重ねることでさらに文章を紡いでみる。今月は書き仕事やらなんやらがあって、書くということ、あるいは言葉に真剣に向き合わなければならないような気持ちになっている、ので、この場所ではどこか息抜きのような、神経症的なこだわりを捨てただらしない文字をキーボードで打ちつける方が良いような気がしている。打ちつけるというのはいい表現だ。言葉をなおざりにすることで、言葉そのものが自分から離れて眼前に浮かび上がってくるような……

とかなんとかくだらない理屈をこねずに実践、ということで最近知った単語を記してみる。

брусника(苔桃)、облепиха(シーバックソーン)、вишня(さくらんぼ)、дубовая бочка(オーク樽)……シーバックソーンなどはそもそも初耳だが、«Архангельская»というウオッカのメーカーからいろいろなフレーバーが出ていて、酒屋の陳列棚で調べてみたというわけだ。別名サジーというらしいоблепихаのウオッカを買ってみた。まだ飲んでいないが、他にもчеснок(にんにく)のフレーバーで瓶の中ににんにくが入っているものもあって、新宿の朝起というお店を思い出した。そういえば日本を発つ前に行こうと思いながら行けずじまいだった。ロシアでの生活でもきっと振り返ってこんなふうに小さな後悔をすることがあるのだろう。

酒屋の店員におすすめを訊いていて、ロシアのビールならこれだと真っ先に教えてもらったのがAmsterdamという名前だった。アムステルダムの手法でつくられているだけでロシア産のようだが、ということはロシア流の製法でつくられたビールは美味しくないのだろうか。親切な方だったのでまたお店を訪ねてみよう。

ところで今日は民族団結の日という祝日だった。歴史的なルーツとしては17世紀まで遡るらしいが、祝日として定められたのは2005年らしい。そんな昔のことよりというのもなんだが、とくにペテルブルクにいる身としては11月7日のロシア革命記念日のほうが重要に思えるのだけど祝日でもないようである。しかし民族団結である。どうにも違和感のある言葉だ。日本生まれの日本人として日本に生きていると、たいていは「民族」という語の意味に無頓着に生きていられてしまう。「団結」はどうだろうか、2011年以降の語彙でいうと「絆」と翻訳できそうだけど、意味としてはずいぶん離れているように思う。多民族で広大すぎる大地を治めるためのさまざまな国家装置を有する場所に、いかなる隣国にも地理的に隣接していない極東の島国生まれの人間がいかにアプローチできるのか、大いなる慄きを密かに感じながらゆるやかに眠ることにする。