2022/11/02

最近、少しずつ自炊のレパートリーが増えつつある。料理の幅の広げ方にはおおまかに二種類あると思っていて、ひとつは料理名がついていたり一定のレシピがあったりする料理をつくること、もうひとつは有りもので食べられるものにすること、そして個人的な感覚では、前者の選択肢を徐々に増やしつつ、後者の方法でおいしく簡単なものをすぐに数種類つくれるようになると、日常生活の楽しさが数段違ってくると思う。

そのためには食材を適切に揃えることができなければならない。異国の言葉で書かれた食材というのはなかなか買うのが難しいが、いまはスマホですぐに見知らぬ語を調べられるのだからほんとうに便利な世の中だ。ヒラタケはгрибы вешенки、つまりвешенкаと言い、砂肝はжелудки(ちなみに人間の胃を指す言葉はжелудок человека)と言うことを知った。また、乳脂肪分が99%に近い高純度のバターをтопленая смесьと呼んでいるらしく、日本ではなかなか見かけないし体にも良いらしいし、と買ってみた。さっそく煮込み料理で試してみると少量で柔らかい甘味が出る。

今夜はひさしぶりのドム・ラジオに、«ВНУТРИ»という実験映画系のプログラムを観るために出向く。どうやら今日は、ロシア南部の都市から出品された超低予算のホラージャンルを集めているらしいのだが、これがまたなんともコメントしにくい出来栄えばかりで、全体的に2007年ごろのYouTubeにあがっていた不思議なホームビデオ風の動画か、ダークウェブ的な雰囲気の映像って感じだった。いくつかの作品は、釈迦坊主の初期のPVみたいだなとも思った。

いよいよ飽きてきたなと心の中であくびをしたころ、スクリーンに«Тарковский трип»という文字が現れる。なんだこれはと思ったら、どうやらソローキンの『ドストエフスキー・トリップ』という戯曲を基に、タルコフスキーの主題を変奏するという趣旨のようである。これは『ドストエフスキー・トリップ』とはなんだろうと調べて見つけたこのページでわかったことだが、本作は、「地味な作りの部屋の中、七人の薬物中毒の男女が苛立ちながら」薬を買った男を待っている、という原案の冒頭を模倣していた。ソローキンの戯曲ではプラトーノフやアラン・ポーなどの作家が出てくるらしいのに対して、映画の方はギャスパー・ノエベルイマンなどの名前が登場人物の口から発せられる。そうしていよいよタルコフスキーの名が出てきたところで、急に転調して、登場人物があたかもタルコフスキーの作品のキャラクターであるかのように振る舞いはじめる。大部分は『ストーカー』のショットやセリフが引用されつつ、『鏡』や『ノスタルジア』、『サクリファイス』を思わせる構図やセリフなど、主に後期の作品群をオマージュしているようだった。ドストエフスキーみたいには直接的にタルコフスキー作品とドラッグは結びつかないのだけど、まあ印象としてはトリップ感はあるよなと思う。でもいかんせん予算のなさが全体に与えるダメージがでかい……。探したらYouTubeにもあがっていたのでメモとして載せておく。

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プログラムを通して観客席から失笑が漏れることが多く、最初はほぼ満席だった会場から次々に人が姿を消していく。自分の座っていた列から人がいなくなったころに限界がきて、ついに中座してしまった。