2022/10/27

少しずつ生活に慣れてくるとあれもやりたいこれもやりたいと欲が出てくる程度には心にゆとりというか、異国の地で日々を生き抜くためにやみくもに使っていた認知リソースの制御ができるようになってきて、思考に「遊び」の時間が生まれてくる。具体的にいうと、道を歩きながら頭のなかでもしもこの滞在で写真集をつくるとしたらどんなものになるだろうかと妄想する、というようなことだ。いろいろなあたらしい知識が習慣となりつつある、そんな静かなプロセスを自分の身に感じている。

今日もまたПослание к человеку 2022のプログラムで4つの映画作品を観る。いままではЛендокだったけど今日はДом Киноという映画館。一つは実験映画のプログラムで、アルゼンチンのPablo Martín Weberによる«Homenaje a la obra de Philip Henry Gosse» (2020)と、«Luto» (2021)、そして«PAST PERFECT» (2019)というポルトガルのGuito Jacques Georgesの作品だ。その名の通りフィリップ・ヘンリー・ゴスへのオマージュとしてつくられた一つ目の作品がけっこうおもしろかった。すべての生物の起源そのものに時間構造が含まれているという発想に、見えているすべてが生物の全体なのか(インターネットの情報とおなじく!)情報の集積なのか、という素朴な疑問を組み合わせたような構造だった。もう一つは、Антуан Каттин, «Праздники» (2022)という作品。サンクトペテルブルグの主要な7つの祝日を4人の市民の視点からみるというもので、その4人にもカメラを持たせて、自撮りでの映像も多く作品にはいっている。作品で扱われている祝日は2022年の新年まで。豪勢な花火やプーチンのテレビ演説、街の喧騒の中での逮捕、警察による暴力、兵役でウクライナ戦線に向かう男……と盛りだくさんで、監督の挨拶によれば構想から制作まで15年くらいかかったらしい。上映前の挨拶をМиру Мирと締めくくり会場からは拍手が起こって、上映後のアフタートークでは会場からの質問がやまず、閉場後もラウンジで監督を囲んで質疑応答が続いていたのが印象的だった。ペテルブルグでペテルブルグの街の映画を観ている、という個人的な感慨も深かった。